130周年記念果物詰め合わせ
銀座千疋屋公式オンラインショップ限定商品です。
130周年記念コースターを1枚付き。特別価格で数量限定発売。
詳細・ご購入はこちら >
2024/03/26
2024/04/03
2024/07/25
2024/09/19
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銀座千疋屋は、1894年12月11日、東京・銀座に創業し、おかげさまで、2024年、創業130周年を迎える運びとなりました。
2024年は、4月1日(月)より、130周年記念品を皮切りに、メインビジュアルやSNS等、様々な機会を通じて、新たな発展ある未来につなげていく視点を持ちながら、「まごころ」をつなぐ果物専門店としての取り組みを発信しています。
【130周年記念品】
・4月1日(月)~
銀座千疋屋の象徴的なバラ柄を日本の伝統工芸有田・波佐見焼で表現しました。
有田・波佐見焼の産地商社株式会社キハラ監修にて、伝統技法である染付をベースにしたモダンな器に仕上げました。
【130周年メインビジュアル】
・4月1日(月)~
銀座千疋屋の代名詞とも言える「マスクメロン」「フルーツポンチ」を用いて130の文字を構成し、130年、果物と向き合うゆるぎない姿勢を表現しました。
加えて、これからも、果物専門店として、生産者の「まごころ」をお客様へつなぎ、果物で喜びと感動をお届けしたいという想いをキャッチコピーに込めました。
<キャッチコピー>
果てなき「まごころ」の
実りをつなぐ物語。
【130周年フルーツパーラーフォトスポット】
・4月4日(木)~
銀座本店フルーツパーラーにて、銀座千疋屋伝統のフルーツ篭盛りと銀座本店の外観を、鮮やかな色合いと優しくも力強い印象のイラストで表現しました。
w1680mm×h2780mmの大型パネルを入口付近に設置。
【130周年フルーツパーラー天井装飾】
・4月4日(木)~
フルーツパーラーらしく、果物を鮮やかな色合いのイラストで表現し、天井に装飾しました。
【130周年フルーツパーラー用ノベルティキャンペーン】
・4月4日(木)~
おかげさまで終了いたしました。
多くの皆さまにご来店いただき、心より感謝申し上げます。
【130周年記念皿特別販売】
・8月1日(木)~
銀座千疋屋の象徴的なバラ柄を日本の伝統工芸品伊万里焼の手描きにて表現しました。
伊万里鍋島の窯元「畑萬陶苑」の職人が、伝統技法により丁寧に作り上げる奥深さを持つ伊万里焼と伝統の包装紙バラ柄を未来へつなぎます。
<商品詳細>
・発売日:8月1日(木)~数量限定発売。
・内容:伊万里焼 直径19cm飾り皿1枚、専用の桐箱付き。
・価格:30,000円(税込)
・販売店舗:銀座千疋屋銀座本店
詳細はこちら>
株式会社銀座千疋屋ホールディングス
代表取締役社長 齋藤 充
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。銀座千疋屋は、1894年(明治27年)12月11日、東京・銀座に創業し、おかげさまで、2024 年をもちまして、130周年を迎える運びとなりました。
130年という大きな節目を迎えることができましたのも、お客さま、従業員、そしてご関係の皆さま方のご支援とご厚情の賜物と心より感謝を申し上げます。
これまで、「数を求めず、質を尊ぶ」という先代の想いを受け継ぎ、果物専門店として、質の高い果物を厳選し、その果物を通じて喜びと感動を与えるサービスを心掛けてきました。
2020年には、時代に合った事業を展開していく為、多角的視点とスピード感を重視し、株式会社銀座千疋屋ホールディングスを設立致しました。
現在は、小売業に留まることなく、全国各地の生産者に寄り添い、技術革新により独自の価値をもった品種を見出し販売しています。 多様化する顧客ニーズに対応し、微力ながら持続可能な日本の果物産業の構築に努めてまいりたいと思っております。
日本の美味しい果物は、日本の文化として守り、価値を育て、継承していくことが銀座千疋屋の使命と捉えております。
これからも、銀座千疋屋グループは、厳選された果物によって、生産者から消費者へ「まごころ」をつなぎ、持続的成長を続けてまいります。
今後とも変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
銀座千疋屋は、創業以来、高品質の果物を最も美味しいタイミングで
提供することを追究しています。
長く深い経験を積んだ専門の目利きが、果物を一点一点厳選しています。
そして、「まごころ」を込めて育てられた果物と
その想いをお客さまへつなぎます。
贈答品としての需要が高いことから、果物の味わいだけでなく、
箱を開けた瞬間からお喜びいただけるよう見た目や香り、
お好みを配慮して、ご満足いただける商品をご提案しています。
銀座千疋屋の先代は、ホスピタリティの精神から
日本初のフルーツパーラー、フルーツポンチという
新しい価値を生み出してきました。
先代の想いを受け継ぎ、伝統を重んじながら、
果物専門店として画期的な商品や心に届くサービスを提供し続け、
お客さまに「まごころ」を尽くします。
1894 年 銀座八丁目に果物専門店創業
1913 年 日本初のフルーツパーラー開業
1931 年 宮内省御用達を拝命
1947 年 銀座五丁目に姉妹店ニュウ銀座千疋屋オープン
1999 年 現在の銀座千疋屋銀座本店を銀座五丁目に構える
2008 年 株式会社パティスリー銀座千疋屋設立
2020 年 株式会社銀座千疋屋ホールディングス設立
銀座八丁目に果物専門店創業
・初代齋藤義政が、千疋屋総本店三代目大島代次郎氏の時代に奉公し、暖簾分けを受ける。「新橋千疋屋」として創業。
・出店した銀座八丁目(新橋)近隣には、当時、外国人居留地があり、外国人客で賑わった。
・外国人たちの多くは、店で果物を買うと店舗で立ったまま食べ始める。当時の日本人にとっては驚きの光景であり、齋藤義政は、椅子とテーブルを店先に置き、店頭で果物を食べられるよう外国人に便宜を図った。これが後のフルーツパーラーの起源となる。
日本初のフルーツパーラーを開業
・1階:果物売場、2階:「果物食堂フルーツパーラー」の3階建て店舗新築。
・食堂の壁には、建築家前田健二郎氏が学生時代に描いたバナナやパイナップルの絵があった。(前田氏は、後の1923年、1961年の新店舗を設計)
・果物食堂をフルーツパーラーとして初代齋藤義政が創案する。のち1937(昭和12)年、二代目齋藤義政が、「銀座千疋屋フルーツパーラー」と改名する。いちごとバナナショートケーキを売り出したと発行書籍に記載が残されている。
・1923(大正12)年、二代目齋藤義政により「フルーツポンチ」が考案された。
宮内省(現在の宮内庁)御用達を拝命
・1932(昭和7)年、りんごの品種「スターキング」の苗をアメリカより初めて日本に持ち込み、最初に実った果実を宮内省に献上した。
・昭和9 年のスターキング販売価格は1 個1円。当時、りんごは10 銭程度だった為、高価格であったが瞬く間に売れていった。
「ニュウ銀座千疋屋」をオープン
・銀座五丁目に姉妹店として開店。
・バラ柄の包装紙は、ニュウ銀座千疋屋にて二代目齋藤義政の弟義信が考案したと言われ、現在も従来のデザインをリデザインしながら守り続けている。
現在の「銀座千疋屋銀座本店」を銀座五丁目に構える
・銀座八丁目本店は、1961(昭和36)年の建設時に作られた果物のタイルアートの壁画や吹き抜けに置かれた観葉植物が特長的だった。癒しの空間として多くのお客さまから支持され、惜しまれつつも店舗統合の為、1999(平成11)年1月16日に閉店。
・銀座八丁目本店は、銀座五丁目ニュウ銀座千疋屋と統合し、銀座五丁目の店舗を銀座千疋屋銀座本店として営業開始する。
株式会社パティスリー銀座千疋屋を設立
・果物をより身近に感じていただけるオリジナルスイーツの開発・販売を手掛ける。
・2013(平成25)年から店舗運営を始め、7店舗(2023年11月現在)展開している。
株式会社銀座千疋屋ホールディングスを設立
・各社ごとの文化から、銀座千疋屋グループが一体となり、活躍する組織づくりを目指す。
・2022(令和4)年、白鳥製パン株式会社と資本業務提携し、パン製造販売事業を開始。
1907(明治40)年頃(第二期時代)
「千疋屋果物凍氷店」「FRUITERER」と書かれた横看板が目を惹きます。店先の果物は、碁盤のように並べられ、贈答用のかごや網袋に入った金柑などが吊るしてありました。
※現存する最古の店舗画像
1913(大正2)年頃(第三期時代)
大正ロマンテイストの3階建て欧風建築で、軒先には千疋屋の番傘が置かれ、和洋折衷の大正時代特有の雰囲気が感じられます。看板にも「千疋屋和洋果物問屋」とあります。また、この第三期時代の店舗ではフルーツパーラーが誕生しました。
1923(大正12)年頃(第四期時代)
関東大震災により店舗を焼失し、震災直後に開店した店舗です。当時は斬新だったショーウィンドーとガラス戸を果物専門店では初めて設けました。ウィンドーに飾られた果物はお客さまから受け入れられ、反応も上々でした。
1931(昭和6)年、宮内省御用達を拝命してからは業務拡大の為、支店を開業しました。店名に「銀座千疋屋本店」と明記されるようになりました。
1945(昭和20)年、第二次世界大戦後に開店した店舗です。当時から店頭に並ぶ果物のディスプレイの美しさが見て取れます。
1961(昭和36)年(第五期時代)
地下1階地上5階建ての店舗は、大正12年建設の店舗同様、建築家 前田健二郎氏による設計です。1階の果物売場では、花や盆栽の販売もしており、四季の記念日や行事の贈り物として選ばれていました。
1999(平成11)年(第六期時代)
銀座八丁目本店と銀座五丁目ニュウ銀座千疋屋を統合し、ニュウ銀座千疋屋ビルにて「銀座千疋屋銀座本店」として営業開始しました。
2017(平成28)年の改装~現在
伝統を重んじながらも、照明やタイルで、新しいエッセンスを取り入れ、色鮮やかな果物を引き立てる明るい内装に仕上げました。
1950年以前のギフトカタログ
御進物の果物は、籠詰合せが主流で種類豊富な取り揃えでした。銭の単位が存在する時代のカタログです。
1970年代のギフトカタログ
当時のりんごの代名詞「スターキング」がギフトでも目立って販売されていました。スターキングは、二代目齋藤義政がニューヨークから苗木を取り寄せ、日本で初めて青森県にて栽培し実らせたりんごの品種です。
1980年代のギフトカタログ
季節の味を豪華に詰合せしたギフトが目立ちました。ウイスキー、ブランデー、ワイン等、お酒の種類も充実していました。
1990年代のギフトカタログ
現在に近い形の詰合せですが、トロピカルフルーツ、亜熱帯フルーツといったカラフルで個性的な詰合せもありました。
銀座千疋屋は、果物の旬の味わいを大切にしています。
全国各地の生産者によって、丹精込めて育てられた果物を、
より美味しい時期にお召し上がりいただく為に、
専門の目利きが厳選して仕入れています。
ただ単に果物を贈るのではなく、お客さまのお気持ちとともに、
大切な方へまごころをつなぐことを信念としています。
店先に椅子とテーブルを置き、
果物を立ったまま食べる外国人たちへ便宜を図ったことが起源となり、
1913(大正2)年、日本初のフルーツパーラー(果物食堂フルーツパーラーと命名)が誕生しました。
関東大震災後は、震災に見舞われた銀座の気分を少しでも和らげようと、
フルーツパーラーの店内には小笠原諸島から取り寄せたヤシの木を飾り、
南国の雰囲気と緑のオアシスを演出しました。
1937(昭和12)年、 株式会社銀座千疋屋を設立し、
果物食堂フルーツパーラーは 「銀座千疋屋フルーツパーラー」 へ改名し、
西洋文明が流入していくとともに、「お定食」 と呼ばれた西洋料理の提供を始めました。
1938(昭和13) 年現存する最古のメニューに記載が残されています。
1999(平成11)年銀座八丁目本店の閉店 (五丁目店舗と統合) とともに、 レストランの歴史も幕を閉じました。
銀座八丁目本店のフルーツパーラー、レストランには、 日本芸術院会員文化功労者の和田三造氏が手掛けた、
自然石や陶片を使った果物の壁画や水墨画が飾られていました。
本店のシンボルとして多くの人々に長年親しまれました。
銀座千疋屋では、バラをモチーフにしたターコイズブルーの包装紙を使用しています。
この包装紙は、1947(昭和22)年にオープンした銀座五丁目「ニュウ銀座千疋屋」店舗にて、
二代目齋藤義政の弟義信のアイデアで考案されたと言われています。
制作の意図として、銀座では、歌舞伎座等の楽屋差し入れ需要があり、
数ある手土産の中でも、ひと目で「銀座千疋屋」と分かるインパクトのある
デザインにしたいという想いから制作されました。
現在では、銀座千疋屋を象徴するデザインとなり、従来のデザインをリデザインしながら守り続けています。
1929(昭和4)年の約1 年間、銀座千疋屋広報誌「FRUIT」の表紙を竹久夢二氏が描いていました。
真偽のほどは分かりかねますが、竹久夢二氏は、銀座千疋屋へ足しげくお通いくださり、
二代目齋藤義政と親しくなった縁で、
ポスターや広報誌の表紙絵などのデザインを手掛けたと言われています。
【130周年記念社史】
・1月~
130周年の記念に、銀座千疋屋グループ130年の歩みを社史として発行しました。
創業からの歴史や考え方など企業の思いを伝え、銀座千疋屋への理解を深めていただく機会となりました。